作品アーカイブ(目次)
額からこぼれる滴りが地面を濡らすが、その跡は静かに消えていく。
足取りは重く、杖を握る手が震えている。
やっとの思いで街の広場に着くと、ひやりとした空気を感じていた。
中央にある噴水からの風は冷たく、優しかった。近くのベンチに杖を向かわせるが、思うように進まない。時間が緩やかに流れていく。
ベンチに手をかけ、顔をしかめながら腰をおろす。噴水を眺めていたが、視線が辺りに彷徨っていく。その目尻には皺が目立ち、眉は白く染まっていた。
薄汚れて、黒ずんだズボンのポケットに手を突っ込んでみる。しばらく探ってから手を抜いたが、布くずが舞っただけだった。
老人はゆっくりと立ち上がり、歩き出す。真上にあった太陽は少し、沈んできていた。
────
扉の前で立ちすくんでいた。
恐る恐る手を伸ばし、ドアノックを掴む。
乾いた音が数回鳴ったあと、軋む音を響かせて扉が開く。
痩せた男が訝しげに老人を見つめていた。
「.......あんたか。何の用だ?」
俯きながら、杖を強く握った。
「......腹が減ったんだ。少しだけ......恵んでくれないか?」
痩せた男はため息をついた。被りを振りながら扉にもたれかかる。
「なんであんたに施さなきゃいけないんだ?前の職場で一緒だっただけだろ?」
「この脚では......」
「知ったことか。あんたに施すために金を稼いだわけじゃない。」
扉は軋む間もなく、閉じられた。大きな音がいつまでも響いていた。
老人の背後から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。子供たちの声が風に攫われ、遠ざかっていく。
痩せた男が妻の手を握る。その手は小さく、冷たい。妻が心配そうに目を向ける。
痩せた男はぎこちなく微笑んで、妻の髪を撫でた。
「あの爺さんには昔、世話になったが......」
唇を引き結んで、妻の瞳に視線を合わせた。
「......お前を治すのに金はいくらでも必要なんだ。俺が大事なのは、お前だけだ。」
────
薄い赤色に染まった空には、雲が変わらず流れていた。降り注ぐ光が街を暖かく照らしている。
水飛沫と穏やかな風を楽しむ人たちが談笑していた。
ベンチには老人が座っている。杖を膝に乗せ、滲む景色をただ眺めていた。
その様子をじっと見つめていた女がいた。
辺りに視線を巡らせてから、ベンチにゆっくりと歩いていく。
「どうしました?何かお困りですか?」
大きな声に驚いて顔を上げる。
化粧っ気のない、美しい顔をした女が老人の顔を覗き込んでいた。
「.......腹が減ったが、金が......脚が悪くて働くこともできない。」
「ああ......脚が。......かわいそうに。」
周辺の人たちの興味が老人と女に向いていた。
女は小さなバッグを開いて財布を取り出していた。迷うことなく、紙幣を何枚か摘んでいる。
老人の視線が杖に向かい、耳が赤く染まる。
「これで美味しいものを食べてくださいね。」
目の前に差し出された三枚の紙幣。沈黙したまま、震える手で触れる。紙幣がゆらゆらと地面に吸い込まれていく。
「......それだけあればお腹いっぱい食べれるでしょう?」
女は満足げに微笑んで、老人に背を向けた。
遠ざかるヒールの音が、地面から跳ね返っているのを感じていた。何人かが、女に声をかけている。
女は首を横に振り、顎の下では手を大袈裟に揺らしていた。
その笑顔から視線を逸らすことができなかった。
振り返って老人に会釈したあと、女の姿が小さくなっていく。
老人は黙って紙幣を拾う。耳はまだ、赤く染まっていた。
太陽が沈んでいく。空を黒く染めるまで。
暗闇の中で光の粒がいくつも瞬いていた。
ゆっくりと立ち上がり、歩き出す。杖をつき、脚を引き摺りながら。
杖の音だけが静かに響いていた。
──老人の手には紙幣が三枚、握りしめられている。
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