作品アーカイブ(目次)
下に書き足していきます。途中までです。
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通天閣の下で、おっさんたちが殴り合っていた。たこ焼きを頬張りながら眺めている。主役二人を遠巻きに囲むように、野次馬が集まって来た。
金髪に染めた頭を掻きながら、最後の一個を口に放り込む。パツパツの黒Tから伸びた腕は、筋肉質で太い。膝を叩いて立ち上がる。
「浩介、混ざる気かぁ?」
茶髪のロン毛を揺らしてる。コイツ、ガキの頃からの悪友、柴田雄大。通称ユウ。
頭のてっぺんは黒く、プリンみたいだ。背が低く、いつもヘラヘラしている。
おっさんが吠えて、石を拾う。屈んだ頭が光っていた。白いタンクトップに、白い半ズボン。体格がゴツい。
もう一人のおっさんはサラリーマン風。黒スーツで小綺麗に見える。
「あいつ石使う気やん。卑怯モンやし、頭眩し過ぎやろ。ユウ、そこで待っとけ。」
言い終えずに駆け出した。
ジャンプして、両脚を伸ばす。吹っ飛んだおっさんの背中に、靴跡が二つ並んだ。
パチンコ屋に駐車した自転車が、ドミノみたいに倒れていく。チェーンが虚しく回り続ける。禿げたおっさんが、白目を剥いて伸びていた。
「もう終わりかい。根性ないのぉ。」
尻を払いながら立ち上がる。周りを見渡すと、野次馬が散っていた。
「お前が暴れるから、誰もおらんくなったやん。」
歩いてきたおばちゃんが、慌てて元来た道を引き返す。ユウを無視してリーマンを睨みつけた。
「喧嘩相手、あのザマや。俺が相手したる。」
拳を包んで音を鳴らす。
リーマンが振り向き、胸ポケットからメガネを取り出す。黒髪オールバックが乱れている。細い目をレンズ越しに向け、血が滲んだ唇をカクカク動かす。
「お前、坂本やんけ。学校どないした?もう昼やぞ。」
独特な、胸がざらつく甲高い声。
──中野?......何でスーツやねん。つーか、お前が何しとんねん。
「ユウ、逃げるぞ!」
通天閣の方に視線を向けた。額の汗が鼻を伝って、開いた口に入る。しょっぱい味が広がった。振り返らずに、駆け出す。
背中に罵声を浴びながら走る。強烈な陽射しに焼かれながら、蝉の鳴き声が聞こえていた。
てっちり屋を横切って、ビリケンさんの看板まで走って来た。息を切らせてゆっくり止まる。
「くっそ。助けてもうた。なんで怒鳴られなあかんねん。......ユウの野郎、見捨てやがって。」
こめかみが熱く、息苦しい。荒い呼吸の中で考えていた。
──あの先公。卒業したら、覚えとけよ......
腰を曲げて膝を持つ。息を整えて歩き出した。視界に広がる汚い街。この街を気に入っていた。怒号と笑い声が混ざり合う、この街を。
ジャンジャン横丁の通りで、ホルモン焼きの匂いがする。昼間っから飲んでるおっさんを尻目に、ポケットに手を突っ込んでみた。布地を引っ張って、呟く。
「学校、行くか......」
蝉の鳴き声が響く中、空を見上げる。眩しい光に目を細めた。額の汗を拭って、雑踏の中に混ざっていく。
─────
塀に沿って歩いていた。落書きが途切れずに続いている。俺が書いたのも幾つかあった。
西成第一高校。偏差値30台。強い奴がとにかく偉い。二年通った結果、俺に喧嘩を売る奴はいない。
鉄の校門は閉まっていた。錆びた門を掴んで、体を持ち上げる。赤茶けた匂いがした。
燻んだ色のコンクリート。汚れた校舎が視界に入る。三階に並んだ窓の一つ。その向こうにユウの姿が見えた。笑って手を振っている。
──やっぱおったな。ダイとキョウヤも来とるんか?
校舎に入って土足で上がる。傷だらけの下駄箱は、ほとんど誰も使わない。めんどくさいからだ。
階段をゆっくり登る。落書きが連なるように続いていく。廊下の笑い声が響いてきた。教室の騒ぎと混ざって反響する。廊下にいた二人が頭を下げた。
ドアを開けると、静まり返る。菓子を食ってるデブと、煙草を吹かしたノッポが口を開く。
「おせーよ浩介。ユウはとっくに来てんぞ。」
菓子を食っているコイツ、鈴木大。通称ダイ。黒毛の短髪で、全体的にでかい。デブ。
「おっさんと喧嘩とか、お前は喧嘩できりゃ何でもええんか。」
煙草を机に押し付けてるコイツ、佐藤響也。通称キョウヤ。細くて背が高い。銀髪ロン毛を後ろで束ねている。目つきが悪いノッポ。
漂う煙に溜め息を吐いて、声を張る。
「お前ら学校、何や思ってん?なぁ先生。」
白髪が目立つ先公は、歳の割に老けて見える。俺を見て、すぐに視線を外した。
咳払いを何度かしながら、チョークを握る手が震えていた。
焦げた匂いが漂う中、ユウの隣に立つ。俺たち以外、静かだった。
「置いていきやがって。」
ヘラヘラが返ってくる。
「しゃーないやん。中野やで?あいつに退学にされた奴もおるし。」
「......まぁええわ。」
風が吹いて金髪を撫でる。窓の外を眺めると、門を開けるオールバックの頭が見えた。
釘付けになった。メガネに反射した光が目に直撃する。甲高い声が頭の中で再生された。
ダイが菓子袋を丸め、机に突っ込む。ニヤけながら俺を見る。
「どしたん?おもろいもんでもあるんか?」
「おもろないわ!......中野や。お前ら、脱出すんぞ。」
しばらくは徹底的に避ける。そう決めた。
金銀茶黒が廊下を走る。不規則に響く靴音に、口が緩んでいた。
「......俺とダイは逃げる必要ないんじゃね?」
キョウヤが呟き、ユウが笑う。走りながら腹を抱えていた。
「うるせぇ。黙って走れ。」
俺が叫ぶとみんな笑った。弾ける汗が、輝きながら落ちていく。廊下で跳ねて、床を濡らした。遅れて走るダイが、笑っていた。
────
「もうええか?」
ユウに囁く。校舎裏の木陰に隠れていた。雑草が生い茂って、隠れるのにうってつけだ。ヤニ臭いが、気にならない。
ヒラヒラと手を揺らして、目線で知らせてくる。
校舎を出る前に、ダイが中野に捕まった。俺たちは逃げたが、キョウヤはダイに付き合ってる。義理堅い奴だ。
二人が教室に連行される姿をじっと見る。
一息ついて、木陰から出た。深呼吸する。
木の幹を這う小さな虫を眺めて、二年前のことを思い出していた。
──初めて会ったダイとキョウヤ。俺とユウに喧嘩売ってきたっけな。
蝉がうるさく鳴いている。その声が遠ざかっていた。──あの日、寝坊したんよな。
─────
布団で横になっていた。眠気が消えず、ウトウトする。床が激しく踏み鳴らされた。軋む音が近づいてきて、ドアが勢いよく開く。
腰に手を当てたオカンが、怒鳴っていた。
「あんた、いつまで寝とんねん!何時やと思っとん?」
瞼を擦り、傍に置いてある目覚ましを掴む。覚えていないが、止めたようだ。
9時を過ぎている。秒針の音が虚しく響く。ペタンコの布団に座り、頭を掻く。枕の近くに金色の毛が落ちていた。
高校入学式に、間に合いそうにない。
胡座をかいて、オカンを見上げる。
「......起こしてくれよ。」
オカンが俺を見つめている。照れくさそうに口を開く。
「......私も今起きたんや。」
──何じゃそら。オトンも起こしてくれたらええのに。
オトンは朝早く出かける。大工の棟梁であるオトンはガタイがよく、喧嘩が強い。負けることを許さない男。俺にも強要して、何度か怒鳴られた。最近は、よく褒められる。
憧れでもあるが、頑固すぎた。
立ち上がって、砂壁に向かう。所々削れ、下に粉が盛られていた。足元に散らばった漫画を蹴り、ハンガーに引っ掛けた制服を手に取る。この日のために作った特注品。短ランに、横幅が太いボンタン。
袖を通していると、蛍光灯の紐をオカンが引っ張っていた。チカチカ明滅して、部屋を照らす。
「おーい浩介ー。行こやー。」
ユウの声。窓を開けて体を乗り出す。赤いTシャツに、前を留めずに短ランを羽織っている。下はもちろん、ボンタン。
「あとから行くから、ユウと行ってき。遅刻仲間おって、よかったな。」
笑って言うオカンに溜息を吐いて部屋を出る。襖の音が軽快に鳴り、床が繰り返し軋む。大工の家とは思えない。
ガラスを張った引き戸を開けると、ユウの背中が見えた。音に反応して振り向く。ニヤつきながら肩を叩いてきた。
「やっぱおると思ったで。仲間おってよかったわ。」
「うるせぇ。さっさと歩け。」
手を払って歩き出す。土の湿った匂いがする中、暖かい日差しが金髪を照らしていた。
天下茶屋の街並みを歩く。飯屋と平屋がごちゃつく通りに、薄汚れた壁が並ぶ。
酔っ払ったおっさんが元気に叫んでいた。街の活気を彩っている。
俺の特注品を褒めていたユウが、黙った。立ち止まって動かない。
「何しとんねん。ちゃっちゃと歩けや。」
聞こえてないのか、道路を挟んだ先を睨んでいる。顔を向けると、デブとノッポの視線と絡み合う。
車が次々と通り過ぎる。排気ガスが目にかかった。曇った視界に、俯いて通り過ぎるにいちゃんが映った。
「なんやあいつら。喧嘩売っとんか?」
ユウがヘラヘラして視線を合わす。
「今日はもう学校ええか。なぁ、浩介。」
デブとノッポが睨んでいる。
体温が上がっていくのを感じていた。
ユウと同時にガードレールを跳び越えて、道路を突っ走る。デブとノッポは、少し離れて腕を組んでいた。クラクションが鳴り響く中、渡りきった。耳に伝わる鼓動を感じて、息を整えた。ユウはヘラヘラしてるが、目が笑っていない。
「お前ら、何ガンつけとんねん。」
ノッポが冷めた目で俺を見る。デブが口を開いた。
「なんやいちびっとるわ思てな。やから──
デブの顔面に拳がめり込む。踏み込んで膝を畳んだ。体ごと腹に突き刺す。頬肉を震わせ、くの字になった。もう一発──
ノッポの腕が伸びてきて、背中を掴まれた。拳が、デブの眼前で止まっていた。
「ユウ!」
ノッポに向かってユウの脚が伸びていた。こめかみを狙ったつま先が、銀髪を掠っていく。
デブの腕が俺の背中に回る。抱えられたまま電柱が迫る。背中に衝撃が走った。背骨が軋み、嗚咽がこぼれる。デブの肩越しで、ノッポの拳がユウに向かって繰り出されていた。
屈んでかわすのを見届け、デブの紅潮した顔に頭をねじ込む。額の汗が飛び散り、鼻血と混ざる。背中に絡む腕が外れた。
後ずさる脚を上から下に何度も蹴る。膝が折れ、尻から崩れ落ちた。俯くデブを見ながら、電柱にもたれかかる。大きく息を吐いて、デブに言う。
「俺の勝ちや。......ひさびさに、吐きそうなったわ。」
酔っ払いのおっさんが、向かいの歩道で叫んでた。両手を上げ、振り回して。
力が抜ける。頭を掻いて、喧嘩を眺めた。
ユウとノッポはお互い一発も当たらない。
眺めながら、耳をほじる。地面に座りこんだ。涼しい風が、金髪を揺らす。
ノッポがステップを踏んで飛び込む。ユウも踏み込む。拳が交差し、ノッポの頭が後ろに弾けた。体が壁にぶつかり、ずるずる腰が落ちる。決着だ。
ユウの額から汗が滴る。息を切らしていた。
俺以外で、アイツがこんな表情をするのを初めて見た。
「お前ら、名前は?」
デブが袖で鼻を拭っている。顔を上げて俺を見る。
「......俺は鈴木大。あいつは、佐藤響也。ダイとキョウヤでええ。」
「お前ら強いやん。俺、坂本浩介。あいつは柴田雄大。浩介とユウでええで。」
ユウがノッポ──キョウヤに手を差し出していた。キョウヤが唾を吐いて、睨みながらその手を取った。ヘラヘラしてユウが言った。
「もうツレやな、なあ、浩介。」
「......そやな。」
デブ──ダイに手を伸ばす。ニカっと笑って握ってきた。
「もう間に合わんし、どっか遊びにいこか。」
横目で声をかけて、引っ張る。立ち上がらせた。
「......お前らも、来るか?」
「おう。入学式、もう行かんでええわ。キョウヤ、お前も行くやろ?」
キョウヤが呟きながら立ち上がる。
「......まあ、ええか。」
「決まりや!」
手を叩いて、ポケットを探る。布地を引っ張って、全員の顔を見渡した。
「お前ら、金持ってる?」
キョウヤが目を丸くした。
「初対面やのに借りる気か?......喧嘩したあとやぞ。」
ユウが腹を抱えて転がっていた。
キョウヤは細めた目で見つめ続ける。頭を掻いていると、ダイが笑って財布を見せた。
「奢ったるわ。お前ら、おもろいわ。」
「めっちゃ金持ちやん。......短い付き合いやけど......親友やな、俺ら。」
「いや......短いにも程があるやろ。」
キョウヤが呟く。俺の背中を叩いてダイが笑った。ユウは転がり続ける。
おばちゃんが顔を顰めながら横を通り過ぎた。笑い声は途切れない。遠くからチャイムの音が、聞こえていた。
──────
「おい。おーい浩介。」
顔を上げると、ヘラヘラ顔が目の前にあった。仰け反って転びそうになる。
「魂抜けとったで、お前。」
「脅かすなや......入学式の日のこと、ちょっと思い出しとっただけじゃ。」
蚊に刺された腕を掻き、睨みつけた。
「あー、あの喧嘩おもろかったよな。あの後も。」
「いや、大変やったやん。新世界で酔っ払ったダイが服脱ぎ出して焦ったわ。パンツまで脱ごうとしたやろ。あいつ。」
ユウが笑い、歩き出す。
──ほんまよう笑うな、コイツ。やけど......それに救われとるな。俺。
落書きだらけの壁をよじ登って、外に出た。まだ日は昇っていたが、帰ることにした。軽く手を振って別れる。
ガードレールに触れて歩いていく。熱が指に伝わってくる。歩いてきた女子生徒と目が合う。俯いて、速足で横をすり抜けられた。
──なんやねん、感じ悪いのう。......そんなに怖いか?俺。
頬をさすって、玄関前に立つ。力を込めて引き戸を引く。時々引っ掛かるが、強引に開いた。
「オトン、なんで直さんねん。」
まだ日は高いが、眠かった。床を軋ませて部屋に向かう。汗ばんだシャツを脱ぎ捨て、布団に転がった。中野の顔が、頭に浮かぶ。
──ダイとキョウヤ、大丈夫かいな。
目を閉じていた。今日のことを思い返す。
いつの間にか、いびきをかいていた。
────
「あいつら、マジおもろいな。」
ユウが歩いていた。一人でぶらつくのは久しぶりだ。いつも仲間がいた。
「新世界でも行くか。」
呟いて、反対方向に歩き出す。
おっさんとオバハンが何か言い合っている。その横をはしゃいだ子供が走っていた。
砂利を踏む。小石と砂の触れ合う音が、リズムを刻んで続いていた。
見慣れた光景が、何か懐かしい。浩介と俺は、この街が好きだ。
静かな通りに入る。喧騒が消え、風が吹く。湿った空気を通り過ぎる。
中一まで、浩介とはよく喧嘩した。認め合っていたのもあって、何となくツルむようになったんだ。
──そういや、ダイとキョウヤ。中野に......
景色が飛ぶ。衝撃のあと、鈍い痛みが走る。
視点が揺れたまま振り向く。パーマ頭が角材を振りかぶっている。ユウがヘラヘラ笑って、拳を握る。持ち手の指に、拳が吸い込まれた。鈍い音のあと、角材が地面に跳ねる。
頭に触れる。指が赤く染まった。滴る血が砂利を染める。他校の学ラン。六人。罵声と笑い声が胸に刺さる。角材野郎が、指を庇って呻いていた。
「どんだけおんねん。......お前ら、誰?」
ガタイのいいスキンヘッドが、角材野郎を押し退ける。
「柴田やろ?坂本とツルんで調子乗っとる。お前ら、平蔵の親父しばいたやろ。」
スキンヘッドが角材野郎を指差す。
「親父......おっさん......!あの禿げたおっさんか?」
──俺、あのおっさんに何もしてへんのに。やったん、浩介やんけ。
指を抑え、呻いて俺を睨む、角材──いや、平蔵。
「そうじゃ。ここらでガタイ良い金髪と、プリンチビのコンビ言うたら、お前らしかおらんやんけ。」
「知るか、このハゲ!」
ヘラヘラして、拳を突き出す。
スキンヘッドの横を滑る。勢いで回転した。背中から脚が伸び、踵が鼻に向かう。
──死んどけや。
脚が止まる。掴まれた。振り回され、バランスを崩す。片足で跳ね、手を伸ばす。が、スキンヘッドに届かない。笑みが消えて、汗が滲む。
口を抑えた女が遠くで見ていた。短く叫んで走り去る。スキンヘッドが女を見ていた。ゆっくり、俺に視線を戻す。
「ちょこまか小賢しいのう。......しばく前に名前教えたる。龍次や。覚えとけ。」
掴まれたまま、拳に背中を抉られる。
骨が軋む衝撃。体が強張る。同じ箇所に痛みを重ねる。朦朧とした時、龍次が脚を離した。
──離しよった!アホが。
踏み込んで拳を突き出す。でかい手に掴まれた。龍次が力を込める。拳から音が鳴りはじめた。
ヘラヘラ出来ない。歯が鳴りやまない。引っ張られ、拳が腹に沈み込んだ。胃液を吐いて、膝をつく。
「あとは好きにせいや。」
龍次が言って、遠ざかる。拳と蹴りが飛んでくる中、平蔵が角材を拾っていた。角材を、振りかぶる。
夕焼けの空で、蝉の鳴き声が遠ざかっていく。
────
唸りながら、体を起こす。濡れた体が重い。金髪からぽたぽた落ちる汗が、布団の染みを広げていた。
窓から入る強烈な陽射しが顔を炙る。
カーテンが開いたままだ。まばたきを繰り返す。時計を見ると、10時を指していた。
のっそり起きて、黒Tを拾う。袖を通し、短ランを掴む。羽織りながらボンタンを履く。欠伸をしながら腕を伸ばした。
生活音がしない。おとんは仕事、オカンは買い物。軋む床を鳴らし、玄関に向かう。ガラス戸を叩く音が響いた。
「うるせーぞ。誰やねん。」
怒鳴りながら引き戸を開ける。がたつき、開いた隙間から銀髪が覗いた。
「キョウヤか......あんま叩くなよ。開かんくなるやんけ。」
「ユウがやられた。入院してんぞ。」
靴を履いた。立ち上がって問い詰める。声が震える。
「どこの病院や?何でや?」
「落ち着け。今宮の奴にフクロにされたみたいや。病院行っても無駄やぞ。意識あらへんし、今は会われへん。」
握った拳に爪が食い込む。
キョウヤを見ると、銀髪が顔を隠している。いつも纏めている髪を、束ねていない。
「取り敢えず、髪括れ。鬱陶しいわ。」
後ろ手に括るキョウヤに言った。
「今宮高の奴とっ捕まえて、誰がやったか吐かせる。」
「ダイ、先行ってるわ。俺らも行こか。」
キョウヤが髪を揺らして、呟いた。金銀並んで走り出す。いつもより街並みが、汚く見えた。
────
今宮駅周辺を探す。アンモニアと酒が混ざったみたいな臭いが漂う。電飾がうるさいスーパーの近くで、おっさんたちが地べたに座って酒を飲んでいる。
怒声が聞こえ、乾いた音がする。
顔を見合わせ、駆け出した。
高架下。ダイがパーマ頭の胸ぐらを掴んでいる。足元に木の破片が散らばっている。ダイが俺に気づいた。
「浩介。コイツ知ってるみたいやぞ。やっぱり今宮高の連中や。」
無造作に歩く。パーマを掴み、顔を近づけた。
「お前も一緒にやったんか?」
瞼が青く腫れ上がっていた。俯こうとしたが、髪を掴んでいるので出来ない。
「龍次と俺や。そもそも、お前が俺の親父──
膝の先で、鼻に突き刺す。髪が千切れ、体が浮き上がる。尻餅をつき、顔を抑えていた。
潤んだ目を細めている。握った拳をパーマの額に当てた。
「その龍次に言っとけ。同じ目に遭わせたる。」
俺が言うと、キョウヤが煙草に火をつけた。煙を吸い込む。吐きながら脚を振り上げ、顎を捉えた。仰向けに倒れたパーマは動かない。ダイが駆け寄った。
「死んだんちゃうやろな。......コイツ、なんか言おうとしてなかったか?」
「大丈夫や。加減した。龍次ってわかったし。......あとはどうでもええ。」
涼しい顔で煙を吐いた。人差し指で煙草を弾く。地面に転がり、踏みつける。
電車の音が近づいてきた。繰り返すリズムが、鉄柱を揺らしていた。
────
二人と別れ、ゆっくりと歩いていた。道の真ん中に、夢中で話し込んでいる二人が見える。肩がぶつかったが、気にせず進む。
額に剃りを入れた兄ちゃんが怒鳴った。
振り向くとすぐに口を閉じ、頭を掻いて作り笑いを浮かべていた。一瞥して、前を向く。
落書きだらけの壁が見える。校舎の窓から笑い声が聞こえた。砂利を蹴り上げ、唾を吐く。校門の端に、男が壁にもたれかかっていた。足元に吸い殻が散らばっている。
頭はスキンヘッドで、体がでかい。紫の長袖が筋肉で膨れ上がっていた。咥えた煙草を口から離し、煙を吐いて歩いてくる。
「坂本やろ?来たったぞ。」
「お前が龍次か。よう一人で来れたな。ビビってタイマンでけん思ってたわ。」
龍次の指から煙草が落ちる。踏みつけ、煙が消えた。
「あいつらが勝手に付いてきただけや。柴田のことやろ?俺がしばいてから、フクロにされたやろけどな。」
金髪が風に煽られ、逆立つ。地面の砂利が弾けた。スキンヘッドの眼前で、拳を掴まれていた。包まれた指に、汗が滲む。
「いきなりか。まぁ、ええやろ」
龍次が掴んだ拳を離し、踏み込む。太い腕が孤を描き、俺の腹に沈み込んだ。体が持ち上がり、景色が滲む。耳鳴りがした。胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。目の前に龍次の顔があった。
「こんなもんか?柴田のほうがまだマシやぞ。」
──調子のんなよ、ボケが!
スキンヘッドの後ろに両手を回し、強く引っ張る。龍次の鼻に頭が突き刺さった。胸ぐらの手が離れ、後ずさる。追って、踏み込んだ。腕を振りかぶると、膝の力が抜けた。体が重い。片膝が地面に触れ、砂利が散った。見下ろす龍次が鼻を抑えている。
「......この喧嘩、そもそもお前らが平蔵の親父しばいたからやぞ。」
見上げる顔が紅潮していた。砂利が膝に食いこむ。龍次の口元が緩んでいた。
「......平蔵って誰やねん。パーマの奴、しばいただけや。」
「平蔵もしばいたんか?これで終わりにしたろ思ったけど、そらあかんわ。......やり過ぎや、お前。」
龍次の唇が結ばれて、首を鳴らして近づいてきた。体に力を込めるが、抜けていく。
髪を掴まれ、引き起こされた。振りかぶった太い腕が伸びてくる。拳が、目の前に迫っていた。
湿った地面が頬に触れた。窓から笑い声が聞こえてくる。閉じていく視界の端に、蝉の死骸が映っていた。
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どうやって帰ったのか、覚えていない。気が付いたら龍次はおらず、砂利の上で倒れていた。口が自然に動く。
「......完敗や。」
腫れ上がった頬に触れる。カーテンが風に煽られ、揺れている。俯いた視線の先に、ユウに借りた漫画があった。喧嘩をして仲間を増やしていく内容。主人公は、必ず筋を通していた。手に取って、ページを捲る。
──俺がおっさんボコったせいで、こんなことになったんか?
考えなしで乱入した喧嘩。龍次は言った。平蔵の親父をしばいたからだと。唇が震える。紙の擦れる音がしていた。
「俺に筋は、あるんか......?」
龍次の顔を思い出す。握りしめた拳から音が滲み出る。顔が熱くなった。平蔵の顔が浮かぶ。パーマ頭の下で、瞳を潤ませていた。歯を食いしばっていたあの表情。鼓動が早くなる。
床が軋んで、勢いよくドアが開く。おとんが怒鳴った。
「浩介、お前、喧嘩負けたんか。負け犬の目ぇしやがって。」
部屋に入って、俺を睨んで床に座る。組んだ胡座に肘をかけ、煙草を取り出した。持ってきた灰皿を置いて、火を灯した。煙が部屋に充満する。
「知らん奴の親父しばいた。そいつらがユウをフクロにした。今、入院しとる。」
「アホやなお前。......で?その入院となんの関係があるんや?」
漫画を閉じて、布団に置いた。両手を組んで胡座に乗せる。
「そいつらに復讐したろ思て、一人しばいた。そいつ、その親父のガキやった。」
おとんが目を細めて上を向いた。息を吐く。輪になって昇っていく煙を眺めていた。
「ほんで番長出てきて負けたんか。なっさけないのぅ。」
「お前が原因やんけ。筋もなんもあらへんがな。そいつの方がよっぽど筋たっとるわ。」
「わかっとるわ。......どうしたらええかわからんのや。」
煙草を灰皿に押し付けながら、ため息を吐いた。火種が燻りながら、僅かな煙が漂う。
「お前、ダチやられたんやろ?どうするもクソもあるかい。お前がやられてどうすんじゃい。」
ドアの前で、おとんが振り向く。
「仇とったらんかい。ワシがケツ拭いたる。」
勢いよく閉められた。掛けた短ランを揺らす。蛍光灯の音が、聞こえた。
──俺が悪い。それはわかった。理屈やない。......仇は取らなあかん。
外は暗くなっていた。窓に映る、腫れた顔。横に転がり、時計を見た。12時。
「明日、ユウの様子見に行くか......」
頭から布団を被る。金髪が隠れ、体を包んだ。龍次の顔が浮かぶ。歯を噛み締めて、瞼を閉じた。
────
痛みで目覚めた。頬に触れる。腫れが、酷くなっていた。手で抑えて、起き上がる。短ランに手を伸ばした時、電話が鳴った。
おとんの声が聞こえてくる。何を話しているのかは、わからない。声が大きくなっていた。
「退学やと!?」
──退学?電話......中野か?
声が途絶えて、蛍光灯の音だけがしている。ドアが開き、おとんが入って来る。眉間に皺を寄せ、低く呟いた。
「学校、行くぞ。準備せい。」
金髪が湿る。頬が熱くなり、じんわりと痛みが広がっていた。ゆっくりと立ち上がる。
おかんが黙って、俺を見つめていた。
────
校門の前で、ゆっくりと見上げる。汚い校舎。割れた窓から、何人かと視線が合う。ガンを飛ばして威嚇してると、腰を肘で突かれた。
「何しとんねん。早よ歩け。」
おとんが睨む。こんな時でもステテコか。
視線を逸らせて、舌打ちした。門をくぐる。突っ込んだポケットの中で、手が湿っていた。裏地を掴んで、拭う。
──ダイとキョウヤ、おるんかな。
周囲を見渡しながら、校舎に入る。左に曲がって、職員室に向かった。おとんの先に、オールバックが見えた。
中野が、扉の前にいる。眼鏡越しに細い目が、俺を捉えていた。独特な、甲高い声。
「おう、坂本。お前、やってくれたなぁ。」
隠そうともしないで、ニヤニヤしている。
「おい、呼び捨てかい?」
おとんが中野を睨む。表情はそのままで、中野が口を開く。舐めとんな、コイツ。
「ああ、すいませんねぇ。お父様ではないですよ。コイツに言ったんです。コイツに。」
俺に向けた人差し指を、おとんが掴んだ。
「人様の息子、コイツてどう言うこっちゃ?」
「痛タタタァ!け、警察呼ぶぞ!」
おとんが舌打ちして、指を離す。おとんを睨みつけた中野が、通告した。
「あんたの息子、退学や。生徒の親父さんしばいたって連絡あったんや。しかも、他校の。」
「あんたが暴れんのは勝手やけどな、もう決定事項や。......ホンマ、親子揃って。」
反射的に親父を羽交締めにした。血管切れる音が、聞こえたから。
「おとん、やめとけ!しばくんやったら俺がしばくから!」
「じゃかぁしい!このガキほんま、ぶち転がすぞコラァ!」
「あんた、やめぇ!!」
でっかい声。オカン?何でそこにおるねん。おとんが硬直する。おとんを離して、後ずさった。青ざめていた中野が、ゆっくり髪を撫でつけた。
「こんなことやと思たわ。先生、ごめんなぁ。」
「いや、ええんですよ。ただ、退学は決定です。今日はもう、お引き取り願いますね。」
甲高い声が、さらに高くなっている。よっぽど嬉しいんやろな。コイツ。
「はい。こいつらは連れて帰りますんで。」
「行くで!」
俺らに向き直って、言い放つ。おとんはすっかりおとなしくなっている。職員室の扉が、鋭く閉まった。大きな音を響かせて。おかんを先頭に、無言で校舎を出た。上から視線を感じながら。笑い声が、胸を刺す。
校門の前に、ダイとキョウヤが待っていた。
「先言っとくで。はよ帰りや。」
オカンが言って、おとんを促す。おとんが口を開きかけたが、オカンが引き摺っていった。
曇った空の下で、キョウヤが肩を掴んできた。
「何でもかんでも、喧嘩に混ざるからや。俺らも危なかった。」
「ダイ、行こうぜ。」
ダイは、黙っていた。視線が合うと、すぐに逸らせて。砂利の音が、遠ざかっていく。一人、校門前で佇んでいた。チャイムの音が鳴る。蝉の声は、変わらずに。
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