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鈴の心


 朝焼けに染まる鱗雲が東雲色の空を覆っていた。石畳の通りに並ぶ建物の彩りは、光に色を塗っていく。

目覚めようとする街の片隅で、露を啜る虫が緑葉と供に揺れていた。


石造りの建物から香ばしい匂いが漂っている。格子のドアに硝子が張られ、奥からは生地を叩く音がしていた。


白い帽子を被った男が煉瓦窯をじっと見つめている。眼尻に刻まれた皺を汗がなぞっていく。炎が揺らめき、パチパチと薪を焦がしていた。


厚手の手袋を着けた手で窯の蓋を開けた。顔に熱が纏わりつく。

パンを取り出してトレーに並べていく。

陳列棚に均等に置いて、レジに向かった。


差し込む陽射しに照らされたパンが、輝いていた。


────

腹を押さえた男が不規則に脚を運んでいる。

薄汚れた黒い帽子の下でため息を吐く。

頭上に輝く太陽がじりじりと石畳を焼いている。額に湧き続ける汗を、流れるままにしていた。


前を歩いてきた女と視線が重なった。女は顔を伏せて通り過ぎる。


両手に抱いた紙袋を横目で見ながら、ポケットの貨幣を一枚握りしめた。

腹を刺激する匂いが鼻腔に届く。格子のドアに手を掛けた。


鈴の音を聴きながら店内に足を踏み入れる。ひんやりとした空気が体を包みこんだ。


明るい色彩に目を細める。店主と目があったが、俯いて視線を落とした。小麦色の床には塵一つない。


俯いたまま陳列棚に近づいていく。パンを一つ掴み、レジに向かった。汗ばんだ指を開き、貨幣をカウンターに置いた。鈍く澄んだ音が響く。


店主が口を開きかけていたが、パンを持ったままドアに向かって歩き出す。


後ろに引っ張られるた。腕を掴まれている。

腰に痛みを感じた時、店主を見上げていた。


「これじゃあ足りない。パンを返してくれ。」


視界が滲み、唇が震えていた。


「俺は、生きる価値もないってことか?」


店主の視線が横にそれた。眼尻の皺を深く刻む。沈黙していた。

ゆっくりと一枚の貨幣をポケットにしまい、レジに向かう。


折れたパンを掴み、腰をさすりながら立ち上がる。

鈴の音とドアの軋む音が、外の喧騒に溶けていった。


────

紅葉が散り、枯れ葉が舞う中で正午の鐘が鳴っていた。

鈴の音が重なるように響き、薄汚れた黒い帽子を被った男が入ってくる。


陳列棚からパンを幾つか掴んで、ゆっくりと歩いていく。ドアの前で立ち止まり、店主を真っ直ぐに見つめた。


「あんたが俺を、生かしてくれた。」


白い帽子に手を触れて、顔を撫でて顎に添えた。額に滲む汗が、瞼に触れる。


何人もの客がパンを持って出ていった。子供を連れた女が手提げのカバンに何個も放り込む。子供が無邪気に笑っていた。


誰もレジに寄ろうとしない。


──あいつは金を払っていないじゃないか。


何も言えなくなっていた。鈴の音が、繰り返し鳴っている。


────

薄く霜を纏った風が店主を震わす。着ている服は破れ、ほつれている。手のひらにかける息が白く吐き出された。

ゴミ箱を見つめていたが、視線を外して重い脚を引き摺っていく。


帷が降りた街中で、笑い声が時折聞こえていた。夜空に浮かぶ瞬きが滲んで映る。

ポケットに手を入れると、一枚の貨幣に触れた。握りしめて、佇んでいた。


背後から足音が聞こえてくる。肩を叩かれて、振り向いた。薄汚れた黒い帽子が視界に入った。


頬を指で掻きながら、懐からパンを取り出した。店主の手に握らせる。


「盗んだパンだし、タダでいい。」


店主の顔が紅潮していた。冷たかった頬が熱を帯びる。


「......あんたのパンの方が、美味かったけどな。」


パンを齧り、咀嚼する。舌に甘味が染み込んでいく。

眼尻に刻まれた深い皺を、水滴がなぞる。手に持つ生地が湿っていた。


「......ありがとう。」


───静寂の中で、鈴の音が聴こえていた。

後悔と安堵を伴って。

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